八王子おんぶ育児の会

八王子おんぶ育児の会は、2012年から八王子市内で活動をしている任意団体です。

マウンティング女子、母親になる(二月度の続き)

二月度に開催した茶話会のご報告続き。
勢い余って、熱のこもった題名をつけてしまいました。

さてさて前回は
「子育てで、これは!」と気をつけていることについて
皆さんにお話を伺いました。

とても具体的なことを教えてくださったママさんのお話が参考になり
否定的な言葉で「○○しないで」といわず
「○○してね」と伝えること。例)登らないで→降りてね
今までも聞いたことがあったものの、咄嗟のときには難しいなぁと
あまり深く考えず採用せずにいました。が、
なるほどー!と思ったのは、咄嗟のときに難しいからこそ
カーッ!ときているときに一呼吸するのに良いという視線。なるほど!
それなら私にも挑戦できそうです!
こんな風に、教科書や講座では「ふむふむ、でも実践となると私には・・」と生かせずにいたことも
身近なママさんの何気ない一言で息を吹き返します。
人の輪の中で学ぶことのすばらしさを実感。


また、
わが子を自分の手の中におさめず、地域で育ててもらう。というママさんの意見に大賛成。
佐々木正美先生に教えていただいてことで好きなもののひとつ。
近くに親族がいない場合でも、支援センターや町会の催しに参加したり
地域と子どもとの接点はいくらでも増やすことができます。
保育園に預けることだって、大きな意味では同じだと思います。

子育てをしながら
その手でモノを作って、販売をしているママさんからは
子どもを足かせのように感じた時期があるけれど
これが、私の生き方!とお話がありました。
あちこちで、彼女のお子さんが大切にされている様子を見ていて
彼女が諦めずにいたことが、今の環境を作ったのだと思うとアッパレ!!そして
全力で応援したくなります。
結果的に地域の知恵がお子さんへと受け継がれていく機会を
多く作っていることになると思うのです。

動物的にいうと、子連れはリスク。
敵や天災があったときに身一つで逃げるのと、子連れではぜんぜん違います。
しかも、この子は泣いたり暴れたりする。
こりゃ、すぐに敵に見つかってしまいかねないのですから
リスク以外の何ものでもありません。
そこで、地域の方にも子を守ってもらえたら
これほど心強いことはない。

そんな、万が一はしょっちゅう無いとはいえ
日常生活で声をかけていただいたり、励ましてくださる方があると
それだけで鬱々とした気分が吹き飛ぶもの。

運動不足にならないように、子どもを連れてあちらこちらへ。と、おっしゃったママさんは
子連れで楽しい公園や、他の市にある魅力的な支援センター情報を教えてくださったりと
いつもお世話になっています。
彼女がいなかったら、私の子育ては今より窮屈だったでしょう。
子連れで外出。してみれば家よりラクチンなんだけれど
時にはは億劫で仕方がない。
玄関を一歩出るには、カバンひとつで
娘のおもらしにも
おなかが減った!にも対応できる装備をする必要があります。
面倒だけれど、家の中だけではもちろん煮つまる。でも、しんどいなぁ。
そんなときに、
もしかすると、あのかわいい親子ににどこかでお会いできるかもしれない。そんな気持ちが
私の体を少し軽くするのです。


そして、今回
言葉は違えど
はじめは、あれこれ気になったが今となっては
情報過多こそが悩みのタネで
目の前の子をそのまま見ている、しかもぼんやり。
でも、今が一番いいかんじ。という
(え!?雑にまとめ過ぎましたか!細部を思い出せず、すいません。)
かんじのご意見が複数ありました。
私も、そのうちの一人。

おむつなし、布オムツ、ベビーサイン、マッサージ、話しかけ方、
もちろん、おんぶ抱っこの仕方まで
あれは良いだの悪いだの、断定的におっしゃる先生もたくさん居て
ゆるゆる子育てをしているつもりでも
なんだか窮屈になってきます。

この窮屈なかんじ。
私は、自分自身の子育てに関してよりも
お友だちの子育てを目撃するときの方が一層強く感じて
へとへとになっていました。

1日に紙おむつを4回しか替えないと豪語する友だちに抱かれる赤ちゃんを
かわいそうに思ったり、
頭ごなしに叱られる子の背中から、私はキミの気持ちわかるよーと
ひっそり応援してみたり
ゼロ歳児にコンビニ弁当って虐待じゃあ?と胸を痛めてみたり
はっきり言って
そんなことばかり考えていたら子連れでいける場所のどこも窮屈。
学生時代の友だちとお互い子どももできて久しぶりに会おうなんて機会も
気が進まない。

それは、○○先生が絶対ダメって言ってたのに
子どもに○○するなんて!と、都度都度思っていたわけですね。

書籍から得た情報+幼少時の記憶を参照して
当時の私はイヤだったので、きっとあの子もそうに違いないと断定してしまう
正しいようで静かで暴力的な行為といえます。

(あ、また眠たくなってきたので
つづく)